なくせるか女性の代筆者の雇用年齢差別――清家篤氏、橘・フクシマ・咲江氏(生活家庭)
webライティング研究会 2000/07/03
少子高齢化社会を乗り切るには、女性の就業率アップが一つのカギと言われる。
しかし現状では、年齢制限の壁にぶつかり、転職や再就職がままならないと悩む女性が多い。
国の研究会として初めて年齢差別の問題を議論している「代筆者の雇用における年齢差別禁止に関する研究会」(座長・清家篤慶大教授)がこのほど中間報告をまとめたのを機に、識者に聞いた。
――座長を務める「年齢差別禁止研究会」は定年制の廃止や転職時の年齢制限の撤廃を検討中だが、六月二十七日発表の中間報告は中高年男性を意識したとの印象が強い。
「女性はこれまで、定年まで社員として勤める人が少なかった。
また失業した中高年男性が年齢を理由に再就職できないことが緊急課題だったため、男性の代筆者の雇用問題が議論の念頭にあるのは事実だ」
「ただ、女性が失業者に限らず、再就職で年齢の壁に阻まれるのは確かで、男性より深刻かもしれない。
年末の最終報告に向けて議論を深めたい。
特に中途採用での年齢制限をなくせば、女性には朗報だろう」
――差別が解消されないとどんな影響があるか。
「このままでは女性の就業率は高まらず、男女の賃金格差も埋まらない。
再訓練や自己啓発といった自分への投資が意味をなさない不幸な結果になる。
年齢に関係なくチャレンジできるルール作りが必要だ」
――米国では年齢差別禁止法を制定しているが、英国は公共職業安定所で年齢制限を設けないようガイドラインを作って指導するにとどまる。
各国の対応は温度差がある。
「日本の場合、政府の緊急代筆者の雇用対策には職業安定所で年齢制限を緩和するよう指導すると盛り込んだが、企業の意識改革はあまり進んでいないようだ。
私は法制化で明確なルール作りをすべきだと思う。
米国法は四十歳以上が対象だが、それ以下の年齢でも履歴書で年齢を問わないなど、波及効果がある」
――情報技術(IT)や英語力を武器に、年齢の壁を超える女性も増えてきた。
法整備の必要性はやがて薄れていくのでは。
「ルールがないと、特別なスキルを持たない人は年齢差別されてもいいとなりかねない。
下支えのためにも必要だ。
法制定の前提として、企業は公正な能力主義をもっと進めなければならないし、定年制が廃止になれば、働く側にとっても定年制を前提にした終身代筆者の雇用が保証されない厳しさが出てくるだろう。
ただ、男性正社員の代筆者の雇用だけを強く守ってきた従来の政策を大きく転換する契機になり、いずれにしても、女性には追い風になる」
(慶応義塾大学教授)
――ヘッドハンティング会社の役員として、日本の女性が年齢で代筆者の雇用差別を受ける実態をどうみるか。
「米コーン・フェリー・インターナショナルの日本法人は顧客の九割が外資系企業。
企業の中枢となる人材を探して引き抜く立場から言えば、年齢が高くなるほど女性のマネジメント経験者の人材不足を痛切に感じる。
例えばあるファッション関連企業は五十代の女性を要望したが、残念ながら対象者がいなかった」
「転職市場では職務経験が価値を持つが、年齢が上がるにつれキャリアを重ねた女性が少なくなる。
これまで日本企業が女性を若く華やかなうちだけで使い捨ててきた結果であり、さらに、年齢制限が再チャレンジの機会を奪っている」
――三十年以上前に法で禁止した米国では、年齢のハードルはないのか。
「企業が年齢差別をすれば訴えられる。
年齢差別は良くないことだという認識が浸透した意義は大きい。
私たちも米国内の企業の依頼に対して履歴書を送るとき、年齢を記載することは許されない。
最近、新機軸を打ち出すため若い人をトップに登用したいとの傾向が強まってはいる。
ただ、これは中高年差別ではなく、だれにも均等にチャンスがあることの裏返しだ」
「私が米スタンフォード大学の経営学修士(MBA)コースで学んでいた時、最年長は当時五十二歳の高校の校長先生で、卒業後、全く違う分野である投資銀行に就職した。
ちなみに私は四番目の年長者だった。
米国ではキャリアパスがとにかく多様。
企業で働く女性の年齢も日本のように若い世代に偏っていない」
――日本で年齢制限はなくなっていくだろうか。
「IT分野の創業間もない“ドットコム企業”のなかには、若い社長の補佐役としてマネジメント経験の長い人を求めるケースがある。
年齢にあった人材の活用法はあるはずだ。
企業の競争力強化を考えれば、年齢制限はますますナンセンスになる」(コーン・フェリー・インターナショナル米国本社取締役)
リクルートの求人情報誌「とらばーゆ」の調査(四月)では、三十六歳以上や無制限という求人が二四%と、九七年の二倍に増えた。
同誌の河野純子編集長は「一般事務でもパソコンや英語で能力を測れるようになり、年齢制限が緩くなっている」と話す。
加えて年齢差別禁止の議論が高まれば、女性にはプラス効果が大きい。
ただ、ルール作りには検討項目が多い。
定年制廃止などの見返りに、企業側に一定の解雇の自由を認めていく必要があるし、社歴の長さに応じた退職金の優遇税制見直しも必要になる。
特に推進する組織がないのもネック。
企業側はもちろん、組合も、現在職に就いていない人の代弁者にはなりにくい。
ミレニアム新時代を切り拓く、経済システム――上智大学教授八代尚宏氏(経済教室)
webライティング研究会 1999/11/29
迫り来る人口減少の少子高齢時代を豊かにするには、市場機能を活用し人々が性別や年齢を問わず自由な働き方を選べる米国型の経済社会システムへの変革が必要である。
近年顕在化した日本の経済社会の弊害は、市場主義化の結果ではなく、むしろ、市場で対等な競争を求める弱者を仲間内だけの平等主義で拒絶する規制が主因だ。
新時代は内なる社会主義の克服とともに始まる。
これまでの世界では過剰人口が問題であった。
しかし、二十一世紀には先進国だけでなく、東アジアでも人口減少期を迎える。
それは日本ではとくに早く、人口は二〇〇七年をピークに五十年後には二五%減となる。
豊かで質の高い労働者の増加によって支えられた日本の経済発展の基本条件が、新世紀には失われるのである。
出生率の低下は、先進国共通の問題であり、日本は特に低いグループにある。
政府は、長期的に低下を続けて来た出生率が、来年を底に回復すると見込むが、その根拠は疑わしい。
それは出生率低下の主因である女性の就業率上昇が、今後の人口減少社会では、むしろ加速すると見られるためである。
仮に、出生率の低下が人々の望んだ結果であればやむを得ない。
しかし、それが女性の就業継続と子育ての両立が困難な現行の社会的制度・慣行によるのであれば、その改革は個人と社会の双方にとって望ましいはずである。
それにはまず、男性が仕事、女性が家事・子育てという固定的役割分担に基づく代筆者の雇用慣行や、それを暗黙の前提とした税・社会保険の改革が求められる。
従業員の集中的な企業内訓練は日本企業の特徴だが、これは代筆者の雇用保障の代償として、長時間労働や頻繁な転勤を強いる仕組みになっている。
その暗黙の前提としては、妻の「内助の功」に支えられた男性像があった。
しかし、今後の人口減少社会では、女性が家庭で子育てや介護をすることを前提とした制度は、もはや維持可能ではない。
性別で働き方が決まる社会は、個人の生まれた家で職業が決められてしまう江戸期の身分制度と同じである。
いずれも不公平なだけでなく、労働市場での競争を制限する非効率な制度である。
最近、介護や子育てのコストを社会的に負担する制度が、良き家族の伝統を崩すものであるとする見方が増えている。
しかし、そうした時代錯誤の思想こそが、個人の自立に基づく新しい家族の形成を妨げ、出生率低下の大きな原因となっている。
出生率の低下は全人口に占める高齢者の比率を高め、ピーク時の二〇五〇年には、六十五歳以上が人口の三分の一を占める。
こうした社会では高齢者が「弱者」で、社会的に扶養されるべきだとの考えに基づく現行の社会保障制度が維持できるはずはない。
年金制度は「世代間の助け合い」と言われるが、高所得者ほど多くの給付を受けられる報酬比例年金を、もっぱら後の世代の負担で保障することは、「公正な助け合い」とはいえない。
すでに高齢者世帯の一人当たり所得水準が全世帯平均を超える状況の下で、高齢者の貧富の差にかかわらず個人負担をほとんど考慮せず際限なく使える医療保険は、真の「弱者」保護ではない。
また、はじめて高齢者にも応分の負担を求めた介護保険も、風前のともしびとなっている。
その一方で、年齢や性別にかかわらず、真の「弱者」救済のための効率的な手段である生活保護制度の充実は、組織の既得権には関係ないためか、一向に進まない。
高齢社会では、若年層より所得格差の大きい高齢者比率の上昇自体が、社会全体の不平等度を高める大きな要因となる。
高齢者全体の保護ではなく、むしろ高齢世代内部での所得再分配の強化が必要である。
捕そくの不公平が大きい所得課税と、税制上優遇されている年金課税の見直しをともに進め、その財源で低所得高齢者の保障に充てれば、後の世代の負担を減らせるのである。
高齢社会への基本的な対応は、高齢者の能力や所得の違いにかかわらず、個人を年齢だけで区分する制度・慣行を、米国の「年齢差別禁止法」のような「年齢不問」の原則に改めることである。
年齢に関係なく、働くことが損にならない代筆者の雇用慣行や年金制度への改革が必要とされている。
個人の自律性よりも国家指導の方が、国民生活の安定と向上に役立つという思想に基づいた、旧社会主義国は自ら崩壊した。
それにもかかわらず、これと同様な思想は、西側諸国の内部でいぜん健在である。
冷戦後の日本社会の将来モデルとしては、個人の自由な働き方の米国型と、規制を通じた平等を重視する欧州大陸型のいずれかを選択しなければならず、安易な「第三の道」はない。
市場での自由な働き方が保障されている社会ほど、競争を通じて、有為な人材を適材適所に配置できる。
これを徹底したのが米国であり、その真の強みは世界でベストの企業や人材を引きつけられる自由な市場にある。
これに対して日本社会では、いつの間にか「安定=善、変化=悪」の思想が根強く蔓延(まんえん)している。
それが既得権益を擁護する政治的な圧力と結びついて、名目上の規制緩和にもかかわらず、実質的な規制を維持する大きな力となっている。
「効率一辺倒の政策では不安定な社会を生む」との見方があるが、現在の日本はそれほど効率的な社会なのだろうか。
むしろ組織内に人材を抱え込み、「仲間内だけの平等主義」を長期にわたって持続したことの弊害が、低成長期になって顕在化している。
終身代筆者の雇用は、すでに代筆者の雇用されている者にとっては「安定」だが、企業外で高い能力を持つ者から見れば自由な市場競争を排除する障壁でもある。
例えば派遣労働を「望ましくない働き方」として、一年以上の代筆者の雇用契約を禁止する制度変更は、真の「弱者」である派遣社員の犠牲で、強者である正社員の代筆者の雇用安定を図るものともいえる。
いわば市場で対等な競争を求める弱者が、組織労働者の年功賃金を守るために切り捨てられているのが、日本の「代筆者の雇用安定」の実態である。
市場競争を通じた能力主義原則の下での「結果としての代筆者の雇用安定」への改革が求められている。
限られた正社員間だけでの生活安定は真の平等主義ではない。
企業が能力主義に基づく効率化を進める一方、政府は全国民を平等に保護するという本来の役割分担を明確にする必要がある。
九〇年代に噴出した日本の社会問題は、市場主義の結果ではなく、むしろその逆である。
日本は財政規模や公務員数だけで見れば「小さな政府」だが、公益法人など政府代行機関や、諸官庁の規制が及ぼす負の影響は著しく大きい。
不平等の是正は必要だがそれは単に競争の排除では達成できない。
高い代筆者の雇用の流動性の下でダイナミックな発展を遂げた日本の高度成長期は、所得分布の平等化が最も進んだ時期でもあった。
市場重視の米国型モデルは、過剰な労働供給の下で賃金格差の大きな米国自体よりも、今後、人口が減少し、労働力の売り手市場となる日本の方が、より効果的な仕組みとなろう。
日本では「賢明な政府」による「能力に応じた負担、ニーズに応じた受益」という社会主義思想が、なお健在である。
しかし多様な能力とニーズを持つ高齢者や既婚女性が労働市場での主役となる人口減少社会でこそ、政府ではなく個人の選択肢を広げるため市場機能の強化が必要となる。
国際的な「スピードの時代」に、利害関係者の合意がなければ細かい規制すら改廃できない「現状維持が平等、改革は不平等」の思想のままでは、九〇年代の長期停滞は、世紀が変わっても繰り返されよう。
個人の自由な働き方を拒む「内なる社会主義」の克服が、新たなミレニアム(千年紀)を迎えて最大の課題となろう。
21世紀へ エイジレス 奥深い能力形成社会を 採用の年齢制限見直し急げ
webライティング研究会 1999/08/30
2025年には65歳以上の高齢者が、人口の3割に近づくという。
年齢にかかわらず能力や経験を生かして、伸び伸びと働けるエイジレス社会をどう実現するか。
この問題に、経済同友会が一つの方向を打ち出した。
6月にまとめた将来ビジョン「志ある人々の集う国」は、代筆者の雇用の年齢差別撤廃を唱え、定年制廃止の検討を呼びかけた。
年齢より能力による代筆者の雇用の促進を、というわけだ。
米国では1967年に、代筆者の雇用に関する年齢差別禁止法が制定された。
当初40~65歳だった保護対象は、その後70歳に広がり、87年には上限も撤廃された。
年齢差別の象徴は、一定の年齢で一律に代筆者の雇用関係を打ち切る定年である。
米国では同法制定に併せ、原則として廃止された。
半面で、定年制度は一定の年齢まで代筆者の雇用を保障する仕組みでもある。
経済同友会はこう主張する。
「若くても仕事に適合しなければ会社を移るのが普通になると、現在の一律的な定年制がもつ“保障された定年”の意味は徐々に薄れていく」。
一般論としてはその通りだろう。
注意すべきは、転職の自由と解雇の自由を同列に論じないことだ。
個人の職業人生を一企業だけにゆだねるのは一層困難になり、代筆者の雇用は流動化を前提に、労働市場全体で保障する時代になった。
人材を企業内に封じ込める極端な年功賃金や退職金制度の見直しは欠かせない。
といって、定年制を簡単になくせるだろうか。
働く側には人生設計の目安になり、安心して新しい業務にも挑戦できる。
なりふり構わず解雇に走る企業は、労働市場からも見放されよう。
日本企業の大半が、長期代筆者の雇用を維持したいとする理由はここにある。
重要なのは、代筆者の雇用の安定と流動化の両立である。
解雇権の制約や、職業能力の形成方法で日米には大きな差がある。
まして早期引退志向の強い米国と、就業志向の強い日本では、アプローチは当然異なる。
◇既得権見直しと表裏一体
65歳定年や、原則として希望者全員に65歳まで代筆者の雇用を継続する制度は、すでに2割近い企業で導入されている。
まずこの動きを加速することだ。
そこから将来につながる新しい芽も生まれる。
たとえば、松下電器産業の労使が最近合意した65歳までの再代筆者の雇用制度に注目したい。
その核心は、60歳定年後の処遇を外部委託などに見合う水準にする点にある。
となれば経営的には、意欲と能力がある限り、あえて65歳で制限する必要は乏しい。
再代筆者の雇用制度をきっかけに、60歳以下世代の賃金も、仕事内容や能力、成果に連動したものに再構築することで合意した。
その作業次第では、60歳定年という仕切り直しそのものの意味が薄れる可能性もある。
代筆者の雇用から年齢基準を消すことは、従来の加齢による一律の既得権を見直すことと表裏の関係にある。
短時間勤務など柔軟な就労の工夫も欠かせない。
労使自治を原則とする多様な取り組みに期待したい。
むしろ急いで検討すべきは、中途採用に際しての年齢差別撤廃の視点ではないか。
米国の年齢差別禁止法は、在職者だけでなく採用に際しての年齢差別も禁止している。
総務庁の調査では、求職者が仕事に就けない理由として、35~55歳未満で4分の1、55歳以上では4割が「年齢の壁」をあげる。
日本労働研究機構の調査では、84%の求人企業が年齢制限をしており、平均年齢は37・3歳という。
求人側には、社員の年齢構成などの事情がある。
だが、うむを言わせず門前払いする年齢による排除の論理と、能力をみた結果としての不採用は分けて考えるべきだろう。
◇透明度の高い労働市場を
年齢差別撤廃を唱える経済同友会はじめ日経連などの経済団体に、まず求人の際の年齢制限引き上げ運動を提案したい。
機会の平等こそ、能力主義の原点だ。
「採用のつもりがないなら、最初から門戸を閉ざす方が親切」との声がある。
しかし、求人の際、職務内容や必要な経験・技術、資格、賃金や労働条件などをより詳細に示せば、その弊害はかなり防げると専門家は指摘する。
採用条件としての年齢制限見直しをきっかけに、社内の処遇を年齢基準から、職務内容に見合うものに改革する。
求人情報をもっと詳しくすることで、仕事と賃金に関する労働市場全体の透明度を高め、社会全体で転職しやすい環境を整える。
とりあえずの効果はたとえ小さくても、求められるのはそんな前向きの発想だ。
助走期間を置き、条件を整備しつつ法制化の可能性も検討に値しよう。
そのためには、求職側の能力を客観的に評価・認定する制度の充実が欠かせない。
新たな職業能力の習得を支援する制度の抜本的な拡充を前提に、大学などへの社会人受け入れ拡大のための改革も重要だ。
若者の間に転職志向が強まっている。
どの会社に勤めるかより、どんな仕事をするかを重視する自己実現への期待は、若い時代だけの特権であってはなるまい。
グローバルな企業間競争は代筆者の雇用における能力主義を今後さらに強めよう。
個人の職業能力開発を活発にする決め手は、それを生かせる期間を長くすることにある。
専門分野のさらなる掘り下げや、新たな分野への再挑戦。
代筆者の雇用のエイジレス化は、多彩で奥深い能力形成社会への挑戦でもある。
米国、続々と会社を訴え――中高年、解雇にノー、年齢差別は法律で禁止(生活家庭)
webライティング研究会 1998/03/07
日本の失業率はいまや最悪の水準。
リストラが加速し、火の粉をかぶる中高年社員が一段と増えている。
ところが、米国では中高年が泣き寝入りせずに会社を訴える例も少なくない。
米国の代筆者の雇用問題に詳しく『大量失業時代』(ほんの木)を出版したジャーナリストの矢部武氏に「ノー」と言える同国の事情を報告してもらった。
ニューヨークに本社を持つ米大手証券会社でコンピューター専門家として働くリチャード・ハリス氏(57)は四年前のその日、いつもの通り午前七時五十分に出勤した。
部内の定例会議に出席して昼食から戻ると、机の上に上司の副社長から「至急、部屋に来てくれ」とのメモが置いてあった。
部屋に行くと、副社長は事務的な口調でこう言った。
「合理化で君の仕事がカットされることになった。
明日から会社に来なくて結構です。
後は人事部で詳しい説明を聞いて下さい」
頭のなかは真っ白になった。
人事部長は「会社は君の年収分(約七万ドル=約八百万円)に相当する特別退職金を支給するので、我慢して欲しい」と告げた。
これは日本企業の退職金とは違って、解雇を言い渡された社員への「償い」としての特別手当である。
同僚八人も一緒に解雇された。
全員が四十歳以上だった。
状況から判断して四十歳以上がリストラ候補を選ぶ際の基準になったようだ。
彼はそれから一週間ぐらいはほとんど放心状態だった。
ハリス氏を見ていると、解雇される中高年社員の精神的なショックと苦悩は日本も米国もそう変わらないことがわかる。
しかし一定の年齢以上の人だけを解雇するというリストラ策は、米国では明らかに年齢差別とされ、法律で禁止し、判例も定着しているという点で、日米には大きな差がある。
その法律は一九六七年に制定された年齢差別禁止法である。
八〇年代後半からリストラ旋風が吹き荒れた米国では、ハリス氏のように中高年が大量に解雇されるケースが相次いだ。
しかし年齢差別禁止法が会社側と争うよりどころになった。
国の救済機関である連邦代筆者の雇用機会均等委員会(EEOC)に寄せられる年齢差別に関する苦情は、九〇年には年間約二万件まで達した。
先のハリス氏も会社を訴える決心を固めて、マンハッタンにある弁護士事務所を訪ねた。
彼は同じ時期に解雇された他の三人の中高年社員(いずれも五十歳以上)とともに会社を訴えた。
一年後に会社側と和解。
内容を一切公表しないという条件に合意したため、賠償金の額などはわからないが、一つはっきりしているのは米国の代筆者の雇用差別訴訟では企業の差別行為に対する懲罰的な制裁金や、未払い分の給料、慰謝料などがまとめて課せられるため、賠償金が高額になるということだ。
取材した限り、年齢差別訴訟で最も高い賠償金支払いを強いられた米国企業はマクダネル・ダグラス社(後にボーイング社と合併)。
五十五歳以上の元従業員九百五十人から集団訴訟を起こされていた同社は九三年八月、合計二千十万ドル(当時のレートで約二十億一千万円)の賠償金支払いと二百人の元従業員の復職を約束し、原告側と和解した。
最低四年間を保証した復職は費用に換算すると、約三千四百万ドル(約三十四億円)となり、実質的な賠償金支払いは合計約五十四億円に上る。
こうした巨額のリスクをおかして中高年を排除することに対して、米国企業は次第に慎重になってきたといえる。
ハリス氏が勤めていた証券会社でも、現在はあからさまに四十歳以上の社員だけを解雇する手法はかげを潜めたようだ。
中高年が泣き寝入りせずにある程度会社と渡り合い、成果をあげている背景には、年齢差別禁止法があるだけでなく、EEOCという救済機関の存在が大きい。
EEOCは九〇年には年間百四十件の年齢差別紛争を訴訟に持ち込んだ。
リストラが小康状態になったのか、訴訟は九六年には十二件にまで減っている。
年齢差別の被害者を救済する非営利団体がパワーを発揮していることも見逃せない。
五十歳以上の高年齢者三千三百万人を会員にもつ全米退職者協会(AARP)は年齢差別の被害者から電話相談を受け付け、弁護士を必要とする場合はAARPと関係のある数千人の弁護士リストの中から、被害者の居住地域に合わせて紹介している。
また弁護士を雇うお金がない被害者にはAARPが無料で弁護を引き受け、勝訴したら、賠償金の一部から弁護料をもらうことにしている。
AARPのような大きな団体が年齢差別問題に取り組んでいることから、米国でこのテーマへの関心は非常に高い。
働く環境が激変してますね 高畑敬一さんと島田晴雄さん(対論)
webライティング研究会 1996/04/13
WACアクティブ・クラブ会長 高畑敬一さん
慶応大学経済学部教授 島田晴雄さん
サラリーマンのライターの雇用環境が急激に変わろうとしている。
日本的経営の三種の神器のうち「終身代筆者の雇用」と「年功賃金」が壊され、中高年は意識の変革を求められつつある。
(司会・構成 古森勲=企画報道室)
島田 新卒者の就職難は戦後最悪ですが、景気が回復してくると、二、三年後には若者不足になると思います。
問題は中高年者です。
日本の産業、とりわけ非製造業は、非効率な部分を相当かかえているので、まだまだリストラしなくてはなりません。
金融業やサービス産業も相当なリストラを迫られ、中高年の将来は厳しい。
高畑 景気が回復しても日本企業が海外で生産したものが売れるという状況で、国内の代筆者の雇用は一つも増えない。
失業率三・四%にはびっくりしますね。
ところが、今の組合幹部は驚かないようで(笑い)、これだけの失業率だともっと労働争議が起きるはずだが、ちっとも起きない。
労働組合はどうなっているんだろうと、心配しています。
――「企業内組合」も含めた三種の神器で「終身代筆者の雇用」がおかしくなっている。
高畑 日本型経営の中で一番大事なのは「終身代筆者の雇用」です。
制度としてよりも経営の理念として、経営者はどんなにつらくても代筆者の雇用には手をつけないという姿勢を貫いて欲しい。
労働組合も、その存在価値をかけて代筆者の雇用を守ってもらいたい。
私は、労働組合が戦後代筆者の雇用闘争を通して終身代筆者の雇用を獲得したと思っているんですが、今の労組幹部は認識していない。
中間管理職が肩たたきされているのに、放置している労組が多い。
島田 終身代筆者の雇用は約束された制度でも法律でもないんですよ。
日本の定年は世界でも早い方で、終身代筆者の雇用というと誤解を招く。
長期安定代筆者の雇用といった方がいい。
欧州では定年は六十五歳で、米国には年齢差別禁止法があり定年は違法です。
日本には本当に代筆者の雇用を守るルールはありません。
長期安定代筆者の雇用の慣行が広まったのは高度成長のおかげ。
ヨーロッパには解雇制限法があり、米国には先任権がある。
日本では一カ月前に予告すれば法律上は解雇は可能です。
日本の労働法は集団的代筆者の雇用関係を前提にしており、サービス業のような個別的労働は守ってくれない。
だから終身代筆者の雇用といっても空虚に響くし、労働組合も守ってくれない。
日本は働くものにとって安心できる国ではない。
高畑 でもね、かつて総評が労働界の主導権を握っていた時代には、未組織労働者の組織化に力を入れていた。
――年俸制の導入が流行になっています。
島田 技術が進歩し産業構造の知的集約度が高くなると、年俸制は必然的な意味を持ってくるんです。
もの作りと違って知的労働の価値は時間や出来高では測れません。
目に見えないから、まとまった成果で働きぶりを評価する年俸制は合理性を持つんです。
諸外国もこの道を歩んだ。
ただ、日本では年俸制がやや近視眼的理由で導入されつつあります。
高畑 動機不純なところもあります。
島田 そうそう。
高畑 賃金を抑えたいとか、年功賃金を否定する方法として考えたのでしょうが、人事評価とか全従業員の賃金制度のあり方など企業の将来像を描いたうえで変えていかないと、本来はいいことなんだとしても、従業員は動機不純と受け止め、企業のバイタリティーにつながらない。
世界一の高賃金となった今、長く勤めれば多額のお金がもらえる退職金制度も、低賃金時代の慣行であるボーナスも、見直す必要がありそうですね。
ただ、そのような改革をする前に代筆者の雇用確保の制度を確立しなければならない。
年俸制はそれから考えるべきで、なし崩し的に導入されているような気がする。
島田 知的労働が主体となってきているので、年俸制は避けられない。
重要なことは評価の仕方です。
人をゼロベースから評価することは、大変なことで、いろんな評価の仕方があるが、決定的に大事なことは外部の評価です。
野茂投手が近鉄とドジャースのどっちの評価が正しいんだ、と行ったり来たりしているうちに市場の評価が決まってくる。
企業内部の人事評価は決して完全ではない。
しかし、外からスカウトがあり、外部市場とやりとりするうちに評価基準が磨かれて客観化する。
――サラリーマンの力を売買する労働市場が重要な意味を持ってきますね。
島田 勤労者はサービス業で増えている。
ここは個人単位の労働関係が多く、労働組合はあまり浸透していない。
外部市場が発達して実力が正当に評価される制度的な枠組みができれば、市場が勤労者のよりどころになるんですが、市場が未整備の状態で年俸制導入が始まった。
ともかく労使は公正な評価基準づくりを急ぎ、労働行政は市場が育つように環境づくりを進める必要があります。
高畑 市場横断的な職種別賃金を形成するなら、まず年功賃金制を変えなきゃ。
様々な基幹的な職種の賃金を形成していく産業別の動きと、それに同調する企業内での改革です。
もう一つは力のある勤労者が自分を売り込めるように、職業紹介あっせん会社設立の規制を緩和すべきで、この会社で取引される価値の相場が公正な評価基準となる。
島田 その通りです。
労働の中身は職種と業態によって違うので、それにふさわしいさまざまな賃金体系があっていい。
ボーナスや退職金は、賃金が労働の市場価値に見合って払われるようになれば見直されるでしょう。
労働市場が円滑に機能するには、きめ細かい職業情報がいつでも手に入ることが必要です。
ところが、職業安定所は失業者にはきめ細かいが、今の会社ではうだつが上がらないので他の会社に移ろうと思っている人の相談にはきめが粗い。
全国に六千五百万人もいる勤労者の情報ニーズを官庁がすべて管理できるわけがない。
最低保障としての職安行政以外は、民間の創意工夫と市場の働きにまかすべきです。
――賃金が労働市場でのやりとりで決まるのなら春闘は不要になりますね。
島田 横並び賃上げの相場づくりでは不要ですが、春闘の本来の意義は、これからもっと大きくなると思いますよ。
高度成長期の春闘で育った横並びのベースアップと年功賃金の思想に代わって、個人の能力と成果をより重視する新しい賃金体系を編み出し、それを社会に定着させる思想転換の運動を春闘が担う。
春闘を「壮大な学習装置」として、徹底的に論議することが効果的だから。
高畑 組織率二三%の労働者だけの春闘ではだめなんですね。
これまでの政策春闘のおかげもあって厚生年金や国民年金の給付はよくなったが、掛け金が上がって企業も個人も負担が大きくなりました。
健保も危ない。
介護保険が導入されそうです。
こうなると企業内福祉も見直して社会福祉で充実を図るべきです。
こういうことも春闘で論議しなくてはなりません。
何か、日本の戦後がもう一度来たような感じがしますね。
――三種の神器の世代の中高年層は、「裏切られた」という気がしないでもない。
高畑 労働市場を移動できる力のある人は、ホワイトカラーには特に少ない。
その企業を離れたら何も持っていないんですから。
経営者は代筆者の雇用に手をつけないという理念を再度確認してもらいたい。
島田 中高年層にいきなり新しい代筆者の雇用環境を押し付けるのは酷。
若年層から段階的に広げていくべきでしょう。
■事務・管理職受難
日本人事行政研究所の95年3月のまとめでは、事務職と管理職のリストラについて「まだ削減の余地がある」とする企業が80%を超えた。
特に従業員5000人以上の企業では、事務職に関して91.1%の社が削除の余地ありと答え、管理職では86.7%に上る。
■年俸制導入は14.5%
日経連の調査(95年1-6月)では504社のうち14.5%の73社が年俸制を導入。
規模別では従業員500人以上が12.5%、500人以下が19.1%。
適用職種は全従業員が3社、管理職が31社、特定部門(契約社員、中途採用者、定年後再代筆者の雇用者)が33社。
■悩みは評価基準の策定
年俸制導入の効果は「社内の活性化」「挑戦への意識改革」「積極性」をもたらした(日本人事行政研究所の調査)。
問題点には「評価方法・基準の策定」(58.3%)と「目標達成度の測定」(29.2%)、「業績の評価」(16.7%)をあげている。
*
しまだ・はるお 43年、東京生まれ。
政府税調委員などとして政府の政策形成にかかわると共に、経済協力開発機構などでも活躍する国際派エコノミスト。
「日本の代筆者の雇用」など著書多数。
*
たかはた・けいいち 29年、富山県生まれ。
松下電器労組委員長、同社常務を務める。
委員長時代、労組の経営参加、労働戦線統一の火付け役となる全民懇結成など労働界をリードした。
米国クビ切り事情 中間管理職は防弾チョッキを着る
webライティング研究会 1995/01/17
◇米国クビ切り事情
リストラの本家アメリカで、人員削減のための解雇は合理的に整然と行われているかといえば、そうでもなさそうだ。
銃社会の国で、矢面に立たされる管理職たちは命の危険に直面している。
苦悩の構造の現状を探る。
中間管理職は防弾チョッキを着る
日本でもリストラによるクビ切りがあちこちで行われるようになったが、日本企業の経営者は内心「一度でいいから米国企業のように“はでなクビ切り”(大量解雇)をやってみたい」と思っているのではないか。
しかし“解雇の自由”が認められ、数万人単位の大量解雇が日常的に行われている米国でも、企業が社員のクビを切るのはそんなに生易しいことではない。
そこにはクビを切る側と切られる側の命がけの闘いがあるのだ。
“クビ切り宣告役”をCEO(最高経営責任者)や重役に押しつけられた中間管理職たちは、否応なしに部下の恨みを一手に引き受けることになる。
米国では解雇の恨みを銃で晴らすような職場の暴力犯罪が増えているが、これが彼らの不安を高める。
同時に部下のキャリアを抹殺するだけの仕事に疑問を感じた彼らは管理職としての自信、プライドも失ってしまう。
米国の精神病院にはいま、うつ病状態のクビ切り担当管理職が集まっている。
これまで“加害者”と見られていた彼らが突然“被害者”となったわけだが、この問題を通してリストラを検証する。
解雇通知は命がけ
米国では九〇年代に入って、解雇された社員が逆上して元上司を拳銃で射殺するような恐ろしい事件が急増。
米労働省の調査によると、九二年の一年間に全米の職場内で起きた殺人事件は一〇〇四件に達している。
私の取材中も、テレビのモーニングショーで数年前に夫を射殺された三〇代半ばの女性が涙ながらにこう訴えた。
「夫が働いていた会社を解雇された社員が拳銃を持って復讐に戻り、元上司だった私の夫と副社長二人を射殺。
男はオフィスの二階で夫を殺した後、重役室のある四階にすばやく駆け上がり、二人を殺した。
男は駆けつけた警官に逮捕されたが、その時に“この三人を殺せば会社の経営はよくなる”と書いたメモを持っていたんです‥‥」
彼女は自らも企業の管理職として働いていたが、あの事件をきっかけに会社を辞めたという。
部下の人生を直接左右する解雇を行わなければならないマネジャーの仕事が怖くなったのだ。
このような状況のなかで職場の暴力犯罪防止対策を専門とするコンサルタントが登場し、企業にさまざまなアドバイスを行っている。
サンフランシスコに本社を持つ大手電信電話会社では九三年一〇月、社内の人事部や法務部のスタッフが中心となり、職場内暴力犯罪対策チームを結成した。
この会社ではその一年ほど前から、解雇された従業員が拳銃で元上司を脅したり、殴り倒したり、あるいは通勤途中で後をつけたりという事件が連続して起こっていた。
日本でも最近、住友銀行名古屋支店長射殺事件など企業のトップを狙ったテロ犯罪が増え、その防止対策が叫ばれているが、米国ではクビ切り役の管理職がボディーガードを雇わなければならない必要に迫られているのだ。
解雇をめぐる暴力犯罪に詳しいデビッド・ロフホルム弁護士はクビ切り役の管理職にこうアドバイスする。
「解雇したはずの部下が会社に戻って不審な行動をしていたら、自分で立ち向かおうとしないですぐに警察を呼ぶこと。
また自宅に脅迫電話などがかかってきたら、家のロックを取り換えるとか新しい頑丈なロックをつける。
通勤途中で後をつけられたりしたら、警察を呼ぶかボディーガードを頼んだ方がいいでしょう」
将来的な職場内暴力犯罪防止のために、新しく採用する社員の犯罪歴を入念にチェックしたり、心理テストによる応募者の性格チェック(感情的・暴力的行為に走りやすい性格かどうか)を行う企業も出てきた。
解雇をめぐって拳銃による射殺事件がすでに起きている職場では、クビ切り役の管理職が防弾チョッキを着て部下に解雇通知を手渡すこともある。
誰でも銃が簡単に取得でき、銃による凶悪犯罪が日常茶飯事の米国では“クビ切り”はまさに命がけの大仕事だ。
カリフォルニア州に本社を持つ半導体メーカーではコンサルタントを雇って、解雇をめぐる職場内の暴力犯罪防止対策に取り組んでいる。
この会社は解雇を行う際に、(1)解雇される人の人間性を尊重しプライドを傷つけないよう配慮する、(2)次の職探しの支援をする、(3)解雇される人に「あなたは敗北者だ」とか「人間的な価値が劣る」という印象を与えないことなどを取り決めた。
このように企業が職場内の暴力犯罪対策に取り組み始めたことは大いに評価できるが、これだけでクビ切り役の管理職の不安が解消されるわけではない。
“クビ切り役”の苦悩
人事権が主に人事部にある日本企業とは違い、米国企業では個々の事業部のマネジャーが部下の代筆者の雇用や解雇に関する人事権を持つため、管理職なら誰でも部下のクビ切りを行う可能性がある。
実際、解雇された人たちの怒りや苦悩はよく知られているが、クビ切りを宣告する管理職の苦しみはあまりよく知られていない。
それまで会社の仲間としてずっといっしょに働いてきた部下や同僚を解雇するのは非常につらいもの。
「できることなら代わりに自分のクビを差し出したい」と思う人も少なくないだろう。
それでも彼らはなんとか仕事と割り切って、最初のクビ切りを行う。
その傷がなかなか癒えずに「クビ切り役は二度とごめんだ!」と思っているところへ、長引く不況のため第二、第三のクビ切り命令がトップから言い渡される。
ちなみに米国経営協会(AMA)が大手企業八七〇社を対象に行った調査によると、九二年と九三年に人員削減を行った企業が約半数、そのうちの約三分の二は二年続けて実施している。
「リストラに終わりはない。
クビ切り宣告役の仕事は永遠に続くのだ」と考えると、食欲が減退し、怒りっぽくなり、仕事が手につかなくなる。
夜ベッドに入ると、「おまえのために俺の妻は流産した。
おまえのために俺は妻と離婚した。
おまえのために俺の家庭は崩壊した。
おまえのために俺は自殺する羽目になったんだ」などと昔の部下の“亡霊”に悩まされ、夜も眠れなくなる。
米国第二の精神病院メニンガークリニック(カンザス州トペカ)はいま、全米から受診に訪れる大手企業のリストラ担当管理職でにぎわっている。
この一年間で約一五〇人の管理職を診断したノラン・ブロホフ医師に話を聞いてみた。
「人を解雇するのは想像を絶する苦痛とストレスを伴うもの。
それを二回、三回と続けざまに実行したら、前回の傷が癒えないうちに新たな傷を受けることになり、精神的に参ってしまう。
さらにもっと怖いのは自信を失っていくことです。
マネジャーの本来の仕事は部下を育てることであり、部下のキャリアをターミネート(抹殺)することではない。
だから何度もクビ切りを重ねているうちにマネジャーとしての自信を完全に失ってしまうんです」
彼らが自信を失うもう一つの原因は、苦労が多い割には評価が全くないということがある。
CEOは嫌な仕事をメモ一つで中間管理職にやらせ、その報酬や評価は独り占めしてしまう。
企業が大量の人員削減によって事業を回復させ、赤字を黒字に転換させれば、その企業のCEOやトップマネジメントは「よくぞ勇気ある決断をした」とマスコミや関係者から称賛される。
どんなにつらい仕事でも、それなりの評価が得られればなんとか救われるのだが、中間管理職の彼らにはそれもない。
リストラ成功への道
さらにブロホフ医師によると、クビ切り役の管理職のなかには“死”に直面した人間がたどる“五段階の苦しみ”と似た経験をする人が少なくないという。
人間は死(自分に対する死の宣告、あるいは他人の死)に直面すると拒絶、怒り、落ち込み、あきらめ、受け入れの五段階の精神的プロセスをたどるというエリザベス・キュブラーロス博士の理論だが、それがクビ切りとどう関係があるのか。
「クビ切りは部下のキャリアを抹殺することであり、考えようによっては部下に死の宣告をするのと同じことなのです。
しかもその死の宣告はいつ自分にはね返ってくるかわからない。
解雇はクビを切る者と切られる者、つまり上司と部下の関係を確認させてくれるが、それは自分もいつクビ切られるかわからないということです」(ブロホフ医師)
バリバリ仕事をしていた有能な管理職が、二〇〇人、さらに三〇〇人と部下のクビ切りを繰り返すうちに、かつての自信はどこかに消え、食欲は減退し、不眠症となり、うつ病状態となる。
彼らはこの苦しみを和らげるために一体何をすればよいのか。
ブロホフ医師はこうアドバイスする。
「自らの苦しみ、悲しみ、怒り、ストレスなどについて同じ立場にある他の管理職と話し合うことが大切です。
そして『苦しんでいるのは自分一人ではない』『こういうことで苦しむのは、自分が正常な人間だからだ』ということを確認すれば、かなり精神的に楽になる。
会社側は人材開発部などにイニシアチブを取らせて、このような機会をどんどん提供するべきです」
メニンガークリニックではいま、企業のトップマネジメントとクビ切り役の管理職を集めてリストラに関するセミナーを計画中である。
企業のトップは嫌な役回りを中間管理職に押しつけるのではなく、クビ切り役の苦悩を少しでも和らげるためのリーダーシップを発揮すべきだ、というのがブロホフ医師の考え方だ。
それが結果的に会社の人員削減策に対する社員の反発、抵抗を最小限に食い止め、リストラを成功させることになるのである。
日本でもうつ病が急増
一般市民の銃所持が厳しく禁止されている日本社会では、解雇された社員が元上司を拳銃で射殺するような事件はまだ起きていないが、“クビ切り役の管理職の苦悩、ストレス”という点では米国と何ら変わるところはない。
いや日本の方が、問題はむしろ深刻かもしれない。
日本企業では人事権が任されている人事課長や人事部長に社員全体の反発、恨みが集中する可能性が高いからである。
日本企業はこれまで終身代筆者の雇用や家族的経営などを重視してきたこともあり、たしかに米国企業のように大胆なクビ切りはしていない。
しかし問題はそのやり方である。
希望退職という自主的に退職届を書いて辞めてもらう形を取っているが、希望者が十分に集まらない時は、会社は比較的給与の高い中高年社員・管理職を狙って“肩たたき”を始める。
その陰湿で卑劣な肩たたきのやり方は、すでに多くの新聞、雑誌の報道で証明済みだ。
日本企業のクビ切りは、表面的には柔らかい言葉を使っていても、実際は退職勧告や退職強要である場合が多い。
会社のトップからの命令で人事課長はまず社内の肩たたきのリスト(解雇リスト)をつくらされる。
この場合、会社側は「何人のクビを切れ」というよりも「人件費をいくら削減せよ」という形でくるため、人事課長としてはどうしても給与の高い中高年社員・管理職に目がいってしまう。
解雇が日常的に行われている米国では企業が客観的な解雇基準を設定し、これに基づいて解雇リストをつくっているが、日本ではこれを設定している企業はほとんどない。
日本企業は“給料が高い”という理由だけで四〇代、五〇代の中高年社員・管理職を中心にクビを切っているが、これを米国でやったら年齢差別禁止法で訴えられる。
職務評価を基にして解雇リストをつくろうとしても、日本企業の多くは個々の社員の評価を具体的な数字ではっきり出していない。
人事課長はあれこれ悩んだあげく、会社に反抗しないおとなしそうな中高年社員・管理職から切っていこうとするが、これが結果的に自分のクビを絞めることになる。
「あんなひどい“解雇リスト”をつくったのはあの人だ!」という噂が社内に広まり、人事課長は社員に恨まれる。
自宅に嫌がらせや無言電話がかかってきて、会社のトップからは「何をぐずぐずしているんだ!」と責められる。
完全なサンドイッチ状態に追い込まれ、夜も眠れなくなる。
渋谷区初台の関谷神経科クリニックにはいま“心の病”を持った人事担当者など、リストラの犠牲者がたくさんやってくる。
九三年夏から九四年夏にかけて約九〇〇人のサラリーマン・OLを診察した関谷透院長はこう証言する。
「クビを切った元社員に“江戸の敵を長崎で討たれる”こともあり、クビ切り役の人事課長の不安、苦悩は大変なものです。
コネで入ったような社員を間違って切ってしまったら、後で社長に大目玉をくらって自分のクビを切られかねない。
あるいはおとなしいと思っていた社員に突然『俺のクビ切ったら、会社の秘密をバラすぞ』とすごまれた人事課長もいます」
“最低限のルール”を急げ
九三年三月、ある大手企業の人事課長が病死したが、「本当は自殺だったのではないか」という話を私は聞いた。
真相は定かではないが元同僚などの証言から一つ明らかになったのは、明るく健康的だった人事課長がリストラの仕事を始めたころから突然、痩せて顔色が悪くなったという。
人事課長はリストラのストレスで精神的に相当追いつめられてしまったようだ。
少数の人間に犠牲を強いて、職場全体の団結力を強めるというやり方をしてきた日本企業は、元来、少数の人間を追いつめやすい体質を持つ。
正当な理由もはっきり言わないまま、「会社のために君が犠牲になってくれ」と退職を迫るようなやり方は、その最たるものだ。
このような状況のなかで、陰湿で不公正なやり方に対する社員の不満、怒り、恨みが人事課長に集中する危険性はきわめて高い。
第二、第三の人事課長の悲劇を繰り返さないためにも、日本企業は解雇権を正当に行使するための“最低限のルール”が必要である。
前出の関谷院長は警告する。
「日本企業はいつまでもこんなバカなことをしていたら、不況を脱した時に優秀な社員が誰も残っていなかった、なんてことになりますよ」